私のそれまで、私のこれから

飾れない私の飾らない忘れずの記録

非モテの魂100まで 2

どうも私です。この前昔話を書こうとしたところ、だいぶダメージを追ったため昔話は飛ばして、言いたいことを書こうと思います。因みに散々書き散らかされたお話なので、目新しいことを知りたい人向きではないことだけは先に言っておきます。

恋愛の加虐性について思うこと

 人を好きになることはいいことだと思うし、それは人の本能からしても止められないことなので、恋愛感情、恋心自体を否定はしないです。ここまでには自分ひとりの脳内で行われていることなので、人を傷つけることも有りません。

 ここから先、好きな人にアプローチするのは、その人に振り向いてほしい、と相手をコントロールしようとすることだと思ってます。そのため、アプローチすること自体を私はあまりポジティブなこととして捉えていません。

 世の中の人がなぜ人を傷つけるのを覚悟で人にアプローチするのか私にはよくわからないです。*1

なんで、こんなに恋愛に消極的か

 理由ははっきりしていて、私は、私が好きになった人を楽しませたり、幸せにできる自信がないから。それができないのに自分は好きだから一緒にいてほしいというのはわがままに過ぎないと思ってます。なので、私の理屈でいうと世の中の人を自信に溢れているんだろうなと感じます。*2

 私にいつその自信が芽生えるのかはよくわからないし、おそらく芽生えないんじゃないかと思ってますが、それならそれで仕方ないかなって思います。だって、自分の能力不足で相手を傷つけていいわけないですもんね。

 恋愛への憧れは今でもあります。だからできるならしたいなって思うときもたまにあります。だた、それ以上に好きな人を傷つけるほうが私は嫌だから仕方ないかなって思います。

 もし、恋愛の能力が経験でしか貯められないのだとしたら、その経験はどこでできるでしょうか?好きな人を傷つける覚悟で全力で接して、駄目なら駄目で仕方ない次に行こうと簡単に皆さん切り替えるのでしょうか。

自分のような経験を親しい人にしてほしくない

 私は自分が幸せかどうかと言われれば、幸せだな、とは思えない、とはいえ、不幸だとも思わないんですけどね。それでも、もし将来生まれるかもしれない子供や家族に私と同じような経験はしてほしくないと思います。
 そう考えると、好きな人をそれに巻き込むわけには行かないです。だからこそ、好きな人ができたからってアプローチなんぞできるわけがないのです。*3

中締め

 タイムオーバーなので今日はここまで。ある程度かけた気がするけど、もう少しかける気がするので、また後日書こうと思います。期待せずにお待ち下さい。

*1:とかいう私も、人と付き合ったことはあったし、人にアプローチをしたこともあります。すいません。

*2:もしくは何も考えてないか、相手のことはどうでもいいか。

*3:自分から私と関わると不幸になるから私と関わらないで、って思ってるのか。それはそれですごい自意識だ。

非モテの魂100まで

どうも私です。Spotifyに米津玄師が追加されたので感電を聞きながら書いてます。ですが、この曲では筆の進みが遅いので、creepynutsの助演男優賞に変えました。皆さまお元気でしょうか。

gendai.ismedia.jp

この記事を読んで、男性の加害者性についてオープンに記事になってるんだ、と感心してちょっとセンチメンタルな気分になったので、つらつらと自分の遍歴でも書いていこうかと思います。

非モテという認識 という文章を書こうとした結果

 ちょっとした頭痛となにかしらのフラッシュバックが起きてかなり気分が悪くなり吐き気が止まらないので、ちょっと次回に回します。言いたいことの前段の昔話で精神にダメージが来るとは思わなかったです。

自分のこと

 どうも私です。今日も今日とてエンタメゼロの胸糞話なので読みたくなくなったらブラウザバックでよろしくお願いいたします。

 私はなんだか気分がずっと上がらずどんよりしております。この状態で人に合わなければ行けないというのはとてもしんどいですね。世の中の皆々様がどういうふうにメンタルコントロールしているのか本当に気になります。

最近何してるの?

 ずっと変わらずですが、仕事して、ラジオ聞いて、たまにアマプラ、ネトフリ、ティーバーあたりの動画を見て、筋トレして、栄養についてちょっと調べて、なんてことをしていると大体1日が過ぎております。文字にすると発展性がなくてちょっと嫌気がしますね。発展的なことっていつやってるんですかね?

 頭の中ではあれもしたい、これもしたいと思っておりますが、なかなかそれを実行までの踏ん切りがつかない状況で、認知的不協和が常に発生している状況だと認識しているので、なかなかつらい状況です。

どうして落ちてるの?

 思いつく原因は一つのみで、コミュニケーションをしたくない。発端は家族のことからだが、コミュニケーションを取ったほうがいいメリットが感じられなくなった。自分の欲望を通すために、人を傷つける行為を正当化する行為にかなりの嫌悪感を感じるようになった。因みにこれは公私共に、である。

 お金を稼ぐために仕事があり、仕事を成功させるためには確実にコミュニケーションが発生する。それ自体に嫌気が差しているのが現状である。何かを発言すれば、後々言質を取ったかのように言われる。それ自体がものすごいストレスになってきた。

 私の友人ならわかると思うが私が落ちると極端に人への連絡が億劫になる。今はまさにその状態であり、それが過去一番レベルでひどい。第三者目線で見れば結構ひどい人になっているはずである。

それでもコミュニケーションは必要でしょ?

 そんな当たり前のことは言われなくてもわかってる。それでもしたくないのだから仕方ない。仕事でも最低限のことしか伝えないし、それを仕事が早くできたとしても伝える気にならない。だって、また何か言われるかもしれないんでしょ?どうせ、あなたたちはなにか文句を言うんでしょ?何か言われるのがわかってて、それをやりたがる人はいないですよ?

 こんな感じのメンタルなので、物事が万事順調に進むなんてことはほぼないわけです。本当に会社の人事の人はスキルとかはどうでもいいから、メンタルがまともかどうかで人を判断したほうが安定はするし、そういう人を選ぶべきだなあと思いますよ。それが面接で見抜ければ楽でしょうけどね。

 昨今は何かを発信するのもコミュニケーションに発展する可能性があるし、誰が見ているかわからないので、本当にアウトプットしようという気が起きない、ここから始まり→起きてても行動する意欲がないので行動に時間がかかる→あ、また自分の想定より遅れた→結局自分はだめなのかもしれないな→時間経過(ラジオを聞くか配信を見ながら)→最初に戻る、のループ。

それであなたはどうするの?

 どうしようか?考えに考えはしたが、結局自分の中でどう最低限のコミュニケーションで生きていけるかを考えている。それによるデメリットはかなり大きいけど、それ以上に人とコミュニケーションを取りたくない。

 もしかしたら、奮起したら一時的には頑張れるかもしれない。でも、最終的にはこっちに戻ってくるのだ。それだとしたらなぜ傷ついてまで頑張る理由があるのか?また、こういう状況になった時に人に迷惑をかけるのは嫌や、そうなると、このまま少しずつ自分の改善を見つけていくしかない、という結論になった。

熱意の重要性、そしてそれがないもどかしさ

 なにか困難がある場合、それを乗り越えるための信念、軸、情熱のようなものが必要だと言われる。それはわかる。しかし、私にはそういうものがないのだ。他人を蹴落としてまでお金を稼ぐ。どんな困難があっても達成する。なんと素晴らしい言葉だろう。

 熱意をお持ちの皆さまは、どんなことがあっても大丈夫だと思うので、ご自慢の巻き込み力(一番嫌いな言葉)を発揮して、ぜひ仲間を見つけて、仲間とともに自分のゴールに向かって邁進してほしい。お願いだから、その輝かしい目で私を見つけないでほしい。あなた達はいろいろな理屈であなたにもメリットがあると言いながら自分のことを一番に考える人達だ。

 君たちが君たちの物語の主人公だということは理解しているが、だからといってその魔の手をこちらまで伸ばさないで下さい。最終的に使えないとわかったらあなた達は簡単に人を切るのだから。

結び なぜブログを書いたのか

 しんどいから!でも、こんな話人に聞かせられないでしょ?この話を聞いてこの後の会話どうするのよ。それのこの人に会うのもリスクって言われている状況でそんな事できないし、私がしたくない。

 人に会わなきゃいけないなら楽しい空間を作らなければ、と思うし、それが作れないなら会わないようにする。それだけのこと。ブログの場合はそれを気にしなくていいからまだ楽ですわ。これを読んでつまらんと思った人はそれが正解。これは私のための文章だから。

 あまり憎まれ口を書いても仕方ないけど、まあこういう心情なんですわ。もう辛いのかどうかもよくわからない状況ですが、誰も助けてくれないので、せいしんてきにしなないようにがんばりまーす。

家族のこと3 考察編

ryoq10.hateblo.jp

↑の続き

 気づけば1週間も経過してしまった。1周間とはこんなに早いものだったか。。。年を重ねるのは恐ろしい。
 書くと予告はしてたのでちゃんと書きます。

考察編

・なぜ私が両親を嫌いか

 とにかく仲が良くない。私がたまに実家に行く時でも、常に喧嘩をしている。母親はそれがうちの夫婦の形だ、というがそれは私にとっては心地良いものではないし、それでうちの家族が幸せになっているとは思えない。

 解決策はおそらくない。両親どちらももう引かない。自分の言いたいことをいい、自分のしたいように人をコントロールしようとする。それが透けて見える(両親が私を利用しようとしている、と私が思っている。)ので私は今でも反発する。

・父親はなぜ私が嫌いか

 端的に私が父親の言う事を聞かないからだろう。ただし、私にも言い分がある。父親の要求は面倒極まりない。毎日祖母に電話で連絡しろ、半年に一度は金を送れ、等々、私の認識では過大な要求を迫られている気がしている。

 当然、納得していないので私はやらない。そうすると、今度は私の携帯に不在着信が数十件。すべて父親からである。それでも放置していると、母親から連絡が来て、お願いだからやって、という連絡だけが来る。(因みにそれでもやらない。だから母親は私によくキレる。)

 後は、すごい細かい愚痴だが実家に帰ってきて、空気を和まそうと雑談するときくらいは、会話を成立させたほうがいい。いきなり、自分の言いたいことだけ言って、それでじゃあ後はやれよ、と言われてやるやつは世の中そんなにいないと思う。

・私の悪い点

 私は家族行事にほとんど参加しない。お盆、年末年始はコミケがあり、ここ10年以上、帰省すべき慣例の時期に祖父祖母のいる実家に帰ったことはない。それに伴い、甥っ子姪っ子にお年玉というものを上げた記憶は数えるほどしかない。実家の田舎の村社会で維持すべきコミュニケーションを放棄していると言われれば、そのとおりである。

 それに加えて、家族を維持するコストを私が払っているかというと、それも怪しいという認識は持っている。そもそも私は今の家族の形だとしたら維持する意味がないと思っているので、私にとっては合理的な判断である。但し、それが父親にとっては気に食わないと言うには十分に理解できる。なので、私も悪いのである。

 それは、私が自分の人生を生きるために進んで選択していることであるので後悔とかはない。足りないとすれば、両親をちゃんと説得することだ。その部分に関してはお互い様だと思っているので、私も父親と同じくなんの説明もなく行動に移しており、ちゃんと父親から反感を買っている。申し訳ないとは余り思ってない。

・父親に思うこと

 とてつもなく生意気だが、人を動かしたいなら、それ相応の言い方やお膳立てがあると思う。私は全てを頭ごなしにやらないつもりはない。けれど、今のままなら私は何もするつもりはない。それくらい私は拒否感を持っている。

 うちの家族は母親が結構口が回り、自分の主張を通すために人を利用する人であるのはわかってる。思春期の頃はそれに利用されて、父親を口撃したことも記憶にある。それに関しては申し訳ないと思う。しかも、今も兄妹を利用しておそらく肩身の狭い思いをしているだろう。

 それを見ると、自由にしている私が快く映らないだろうこともなんとなくは分かる。しかし、それはそれ、これはこれ。今まで蓄積されたものは簡単には消えないし、家族事となると私の行動力は70%減くらいのデバフがかかるイメージになる。

 これは紛れもない事実、今更どうしようもできない。

・母親に思うこと

 基本的には味方だと思ってる。けれど、たまに見える刃は相当鋭く見えるのでどう信じていいかはわからない。つまりは、信用していない。相続、介護、等々これから当然訪れるだろう問題の際に、その刃は当然私に降りかかるであろうと思うと、笑顔でいつつ一定の距離感を保たないと行けないな、と私は警戒心を持ってしまう。

 私達は家族であると同時に、互いに自分の人生を生きている。そうするといずれ衝突するときが来るだろう。なるべくそうならないように、私が距離を取っているが、そうなったときは私も全力で行くのでよろしく。

・それで私はどうするの?

 私に何を求めているのかわからないので、動きようがない、というのが正直な気持ちだ。もちろん、両親が期待していることはなんとなく伝わってくるけど、それを汲み取って、提案、行動に移すつもりなど露ほどもない。
 私は家族という言葉にいいイメージがない。それは私の体験がそうだったからである。それにも関わらず、両親はこの家族を継承し、続けてほしいという。父親にも背負うものがあるのだろうとは思うが、今の私には無理だ。

 今の家族の形で私に継承できるものがない。

・家族ってなんだろう

 私は自分の経験を自分の子供にさせたいかというと、NOだ。なので、今まで経験した家族の形を取りたいとは思わない。それに変わる形とはなんだろう。今の私にはわからない。
 それを話せる人、見つけられる人がいれば私はその人と一緒にいたいと思うのだろう。はたして、そんな人がいるだろうか。そもそも、そんな話を人とする日が来るのだろうか。

・私が未来に継承できること

 私が子供、他人に関係なく継承したいことは、自分で選んでそれをやり抜け、それだけ。関わる人にはそれだけはずっと言い続けたい。
 その前に私自身がもっとこれを追求して言わずとも伝わるようにできればいいな、いや絶対やるんだけどね。
 そうすれば、伝わる人には伝わるさ。

結び

 さて、家族について言いたいことは書いた。やっぱり好きではないんだな家族。どうすれば好きになれるか、模索はしていこうと思うけど、無理に寄せていこうとはやはり思えないからこれはこれで続けていくしかないね。

 いやあ、全然エンタメになってないですね。エンタメにならないからここに書いてるんですが、流石に公開するのをちょっと躊躇してしまう。それでも出しますけどね。

 次は、時間があれば自分のことを書いていこうと思うので、期待せずお待ち下さい。

家族のこと3 考察編

ryoq10.hateblo.jp

↑の続き

 気づけば1週間も経過してしまった。1周間とはこんなに早いものだったか。。。年を重ねるのは恐ろしい。
 書くと予告はしてたのでちゃんと書きます。

考察編

・なぜ私が両親を嫌いか

 とにかく仲が良くない。私がたまに実家に行く時でも、常に喧嘩をしている。母親はそれがうちの夫婦の形だ、というがそれは私にとっては心地良いものではないし、それでうちの家族が幸せになっているとは思えない。

 解決策はおそらくない。両親どちらももう引かない。自分の言いたいことをいい、自分のしたいように人をコントロールしようとする。それが透けて見える(両親が私を利用しようとしている、と私が思っている。)ので私は今でも反発する。

・父親はなぜ私が嫌いか

 端的に私が父親の言う事を聞かないからだろう。ただし、私にも言い分がある。父親の要求は面倒極まりない。毎日祖母に電話で連絡しろ、半年に一度は金を送れ、等々、私の認識では過大な要求を迫られている気がしている。

 当然、納得していないので私はやらない。そうすると、今度は私の携帯に不在着信が数十件。すべて父親からである。それでも放置していると、母親から連絡が来て、お願いだからやって、という連絡だけが来る。(因みにそれでもやらない。だから母親は私によくキレる。)

 後は、すごい細かい愚痴だが実家に帰ってきて、空気を和まそうと雑談するときくらいは、会話を成立させたほうがいい。いきなり、自分の言いたいことだけ言って、それでじゃあ後はやれよ、と言われてやるやつは世の中そんなにいないと思う。

・私の悪い点

 私は家族行事にほとんど参加しない。お盆、年末年始はコミケがあり、ここ10年以上、規制すべき慣例の時期に祖父祖母のいる実家に帰ったことはない。それに伴い、甥っ子姪っ子にお年玉というものを上げた記憶は数えるほどしかない。村社会で維持すべきコミュニケーションを放棄していると言われれば、そのとおりである。

 それに加えて、家族を維持するコストを私が払っているかというと、それも怪しいという認識は持っている。そもそも私は今の家族の形だとしたら維持する意味がないと思っているので、私にとっては合理的な判断である。それが父親にとっては気に食わないと言うには十分に理解できる。なので私も悪いのである。

 但し、それは、私が自分の人生を生きるために進んで選択していることであるので後悔とかはない。足りないとすれば、両親をちゃんと説得することだ。その部分に関してはお互い様だと思っているので、私も父親と同じくなんの説明もなく行動に移しており、ちゃんと父親から反感を買っている。

申し訳ないとは余り思ってない。

・父親に思うこと

 人を動かしたいなら、それ相応の言い方やお膳立てがあると思う。私は全てを頭ごなしにやらないつもりはない。けれど、今のままなら私は何もするつもりはない。それくらい私は拒否感を持っている。

 うちの家族は母親が結構口が回り、自分の主張を通すために人を利用する人であるのはわかってる。思春期の頃はそれに利用されて、父親を口撃したことも記憶にある。それに関しては申し訳ないと思う。しかも、今も兄妹を利用しておそらく肩身の狭い思いをしているだろう。

 それを見ると、自由にしている私が快く映らないだろうこともなんとなくは分かる。しかし、それはそれ、これはこれ。今まで蓄積されたものは簡単には消えないし、家族事となると私の行動力は70%減くらいのデバフがかかるイメージになる。

 これは紛れもない事実、今更どうしようもできない。

・母親に思うこと

 基本的には味方だと思ってる。けれど、たまに見える刃は相当鋭く見えるのでどう信じていいかはわからない。つまりは、信用していない。相続、介護、等々これから当然訪れるだろう問題の際に、その刃は当然私に降りかかるであろうと思うと、笑顔でいつつ一定の距離感を保たないと行けないな、と私は警戒心を持ってしまう。

 私達は家族であると同時に、互いに自分の人生を生きている。そうするといずれ衝突するときが来るだろう。なるべくそうならないように、私が距離を取っているが、そうなったときは私も全力で行くのでよろしく。

・それで私はどうするの?

 私に何を求めているのかわからないので、動きようがない、というのが正直な気持ちだ。もちろん、両親が期待していることはなんとなく伝わってくるけど、それを汲み取って、提案、行動に移すつもりなど露ほどもない。
 私は家族という言葉にいいイメージがない。それは私の体験がそうだったからである。それにも関わらず、両親はこの家族を継承し、続けてほしいという。父親にも背負うものがあるのだろうとは思うが、今の私には無理だ。

 今の家族の形で私に継承できるものがない。

・家族ってなんだろう

 私は自分の経験を自分の子供にさせたいかというと、NOだ。なので、今まで経験した家族の形を取りたいとは思わない。それに変わる形とはなんだろう。今の私にはわからない。
 それを話せる人、見つけられる人がいれば私はその人と一緒にいたいと思うのだろう。はたして、そんな人がいるだろうか。そもそも、そんな話を人とする日が来るのだろうか。

・私が未来に継承できること

 私が子供、他人に関係なく継承したいことは、自分で選んでそれをやり抜け、それだけ。関わる人にはそれだけはずっと言い続けたい。
 その前に私自身がもっとこれを追求して言わずとも伝わるようにできればいいな、いや絶対やるんだけどね。
 そうすれば、伝わる人には伝わるさ。

結び

 さて、家族について言いたいことは書いた。やっぱり好きではないんだな家族。どうすれば好きになれるか、模索はしていこうと思うけど、無理に寄せていこうとはやはり思えないからこれはこれで続けていくしかないね。

 いやあ、全然エンタメになってないですね。エンタメにならないからここに書いてるんですが、流石に公開するのをちょっと躊躇してしまう。それでも出しますけどね。

 次は、時間があれば自分のことを書いていこうと思うので、期待せずお待ち下さい。